GUIを発明したアランケイの有名な言葉に 「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」(The best way to predict the future is to invent it.) というものがある。 現在の計算機の常識になっているウィンドウやメニューのような「未来」を本当に発明したのは凄いことである。 最近は「未来のふつう」という言葉が流行しているようで、 将来普通になっている技術を発明したいという認識はかなり共有されているようである。

「発明」という言葉は技術的な響きがあるが、 昔「発明」されて現在常識となっているものは沢山ある。 たとえば現在の小説で常識になっている「言文一致体」は 明治時代に二葉亭四迷が苦労して考案したものらしいが、 これは新しい小説の常識を発明したことになる。 また、「ピアノトリオ」というジャズ演奏形態は バドパウエルやその仲間が考案したものであり、 彼らは現在常識となっているジャズの演奏形態を発明したことになる。 「言文一致体」も「ピアノトリオ」も今ではまったく普通のものだと認識されており、 二葉亭四迷の小説を読んだりバドパウエルの昔の演奏を聞いたりしても斬新さは全く感じられないのだが、 それは彼等が未来の常識を作り出すことに完全に成功したからであり、 その点が最も凄いことだといえるだろう。 いわゆる「発明」でなくても、新しい何かを工夫して開発して 将来常識と考えられるようなものを作り出せれば素晴らしい。

言文一致体でない小説を読みたいなどとは全く思わないが、 ウィンドウやメニューが将来も常識であり続けることには激しく違和感を感じている。 将来の計算機利用環境において現在のGUIが向いていないことは明白だからである。 将来の計算機利用環境で常識となるようなインタフェース手法を早急に開発したいものである。