続・ユビキタスの街角

ユビキタスの街角(http://tmasui.blogspot.jp/)から引っ越してきました

2014年08月

2006年に渡米してAppleで働くことになったのだが、 2006年10月ごろに発売前のiPhoneを見せてもらったとき感じた感想を書いてみる。 (この感想は2006年10月のものであり、最近編集したものではない。iPhone発売は2007年1月。)
  • iPoneはPIMとしては論外である。
  • 自分がPalmを使ってたときと比較すると問題点がはっきりする。 Palm上では以下のような使い方をしていた。

    • がんがんメモをとる (POBoxを使う)
    • インターネットと同期しつつ数千のメモを管理する
    • メモ間のリンクを張る (PalmWikiを使う)
    • 大量のメモをインクリメンタル検索する (Q-Pocketを使う)
    • 階層的にフィルタリングしながらズーミング検索 (LensBarを使う)
    • 漢字テキストもローマ字で検索 (Migemo機能)

    iPhoneはこのようなPIM機能を全く持っていない。 Palmでは以下のような機能をよく使っていた。

    • Backボタン (前の画面にいつでも戻れる)
    • カーソルキーの活用
      候補選択とかズーミングとか

    PalmはもともとPDAとして良いデザインを持っていたのだが、 進化にともなっていろいろ便利な拡張が行なわれてきた。 特に、以下のような拡張は PIM的には便利であった。

    • 小型キーボードの採用
    • カーソルキーの採用

    文字キーボードもカーソルキーも存在しない状況では 編集しながらメールを書くことすら簡単ではない。

    つまり、格好にこだわってクールな端末を設計したのは良いのだが、 PDA的な使いやすさが最悪である。WindowsMobileより悪いといえるだろう。 はっきり言えば、 PIMなど利用したこともない人間がはじめて PDAを設計したように見え、既存の知見が全く反映されていないようである。
    大方のユーザはPDA的な使い方などしないから、 メールだのメモだのが 使いにくくても売上げ的には何の問題も無いかもしれないが、 まるで使えないPDAを開発するのではAppleに来た意味が無いであろう。 曖昧検索やズーミング技術を使うとiTunesの検索が非常に簡単になることは 確かであるが、同様の手法をiPhoneに搭載することは全く可能と思われる。 なんとかならないものか。

2014年現在でもこの感想は全然変わっていない。 iPhoneはPDAじゃないから仕方ないのかもしれないが、 PDAとして使えるマシンが欲しい。

GUIを発明したアランケイの有名な言葉に 「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」(The best way to predict the future is to invent it.) というものがある。 現在の計算機の常識になっているウィンドウやメニューのような「未来」を本当に発明したのは凄いことである。 最近は「未来のふつう」という言葉が流行しているようで、 将来普通になっている技術を発明したいという認識はかなり共有されているようである。

「発明」という言葉は技術的な響きがあるが、 昔「発明」されて現在常識となっているものは沢山ある。 たとえば現在の小説で常識になっている「言文一致体」は 明治時代に二葉亭四迷が苦労して考案したものらしいが、 これは新しい小説の常識を発明したことになる。 また、「ピアノトリオ」というジャズ演奏形態は バドパウエルやその仲間が考案したものであり、 彼らは現在常識となっているジャズの演奏形態を発明したことになる。 「言文一致体」も「ピアノトリオ」も今ではまったく普通のものだと認識されており、 二葉亭四迷の小説を読んだりバドパウエルの昔の演奏を聞いたりしても斬新さは全く感じられないのだが、 それは彼等が未来の常識を作り出すことに完全に成功したからであり、 その点が最も凄いことだといえるだろう。 いわゆる「発明」でなくても、新しい何かを工夫して開発して 将来常識と考えられるようなものを作り出せれば素晴らしい。

言文一致体でない小説を読みたいなどとは全く思わないが、 ウィンドウやメニューが将来も常識であり続けることには激しく違和感を感じている。 将来の計算機利用環境において現在のGUIが向いていないことは明白だからである。 将来の計算機利用環境で常識となるようなインタフェース手法を早急に開発したいものである。

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