続・ユビキタスの街角

ユビキタスの街角(http://tmasui.blogspot.jp/)から引っ越してきました

家庭で使う大抵の機器は使うときだけ電源を入れるものであり、 電源スイッチでON/OFFするようになっている。 電源ON/OFFしないのは冷蔵庫ぐらいだったかもしれない。 一方、最近のネットのルータやWiFiアクセスポイントは電源ONのままにしてあるのが普通だろうし、 パソコンやハードディスクの電源を切らずに使ってる人も多いだろう。 テレビやクーラーなども実は常に電源ONになっていて いつでもリモコン信号を受信できるようになっている。 常に電源ONになっている機器は増えていると思われる。

腕時計や壁時計は常に動いているものであり、電源ON/OFFすることはないのだが、 こういう機器はそもそも電源を切るという発想が無い。 電源を意識する必要がなく、常に電源がONになっているような計算機を使う 「ウェアラブルコンピューティング」 が将来普及すると考えている人も多い。 注目されているGoogle Glassも常時ONで使うことを前提としているので、 電源操作をしなくても「OK, Glass」と言えば認識してもらえるわけである。

一方、大抵の電灯は常時ONになっておらず、 壁のスイッチを使って使うときだけONにするのが普通である。 従来の電灯は、 「電源をONにすること」と「明るさを制御すること」が 同義であり、これを壁のスイッチで制御していたわけである。 しかし、 hueのような電灯を使うようになると、 明るさの制御と電源ON/OFFは別物だと認識されるようになり、 電源自体は常にONで良いと考えられるようになるはずである。

hueのような高度な電灯でなくても同様の状況は起こる。 我家では暗くなると自動点灯する屋外灯を数年前に導入したのだが、 センサを動かすためには常に電源が供給されている必要があるため、 家の中の電灯スイッチを「常時ON」に設定しておかなければならなくなってしまった。 誤ってスイッチをOFFにしないようにするため、 屋内のスイッチにテープを貼って固定するという情けない状況になっている。

壁のスイッチで電源ON/OFFすることにより電灯の明るさを制御するという仕組みが完全に時代遅れになっているので、

  1. 電源は常時ONになっている
  2. 様々な方法で制御を行なう
というのが常識になってくるであろう。 「部屋の入口のスイッチ」は家庭からもオフィスからも消滅し、 様々な柔軟な方法で電灯その他の電気製品を制御するのが普通になるであろう。 テープで固定された不格好なスイッチなどを見なくてすむようになってほしいものである。

英語は冠詞とか複数型とか語尾変化とか三単現とか不思議な規則が多いうえに前置詞の使い方も難しい。 日本語も助詞だの語尾変化だの妙な規則が多くて困る。 名詞/動詞/形容詞のような基本単語と記号だけから文を作るようにすれば誰でも理解しやすい簡潔な文を書けるのではなかろうか。 「私は東京に行きます」のつもりで 「私が東京の行きます」と言ってしまうと通じないだろうが、 助詞を使わず「私東京行く」のように表現すれば、 混乱が生じない簡潔な文が書けるだろう。 たとえば以下のようにすればよい。
  • 単語は変形しない
  • 前置詞や助詞は使わず、単語間の関係は簡単な記号や語順で表現する
    e.g. 「東京の地下鉄」⇒「東京.地下鉄」、 「私の友達」⇒「友達<私」、 「牛丼を食べる」⇒「食べる>牛丼」
  • 時制なども単純な記号で表現する

...と考えてたらこれはただの中国語だという気がしてきた。 中国語は超簡潔な言語だったのだろうか?

ネットから制御可能な hue というLED電球が面白い。 iPhoneやAndroidのアプリから明るさをコントロールできるうえに、 公開APIを使えばパソコンからネット経由で自由に制御することができる。 ネットから制御できる電球はいろいろ提案されているのだが、 今すぐ買ってすぐ便利に使えるところがありがたい。

赤外線リモコンを使ってワイヤレスに制御できる電灯は現在普通に売られているし、 ネットから制御できたら何が面白いの? と思う人もいるかもしれないが、 ネット経由で自由に制御可能な製品が増えることによって 日常的な機器の操作インタフェースに関する意識が変わっていくことを期待したいと思っている。

現在の家庭やオフィスの電灯は部屋の入口付近のスイッチでコントロールするのが普通であり、 電灯が複数ある場合は複数のスイッチが並んでいるものである。 このため、部屋の明るさを変えるためにわざわざ部屋の入口に移動したり、 スイッチ操作を試行錯誤したりすることがよくあるが、 そのような無駄に対する疑問を持っている人は少ないと思われる。 「電灯は部屋の入口のスイッチで操作するものである」と思い込みが強ければ、 何故部屋を暗くするために部屋の入口に行かなければならないのかを 疑問に思う機会は少ないであろう。

hueのような電灯が普及すれば、 もっとサエたやり方で電灯を制御することが可能になるので、 「何故これまで部屋の入口で電灯を制御していたのだろう?」と感じる人が増え、 もっと良い調光システムが工夫される可能性も増えるだろう。 hueのようなシステムが普及することによって、 ユーザの意識が徐々に根本的に変わっていって欲しいものである。

Suicaの普及により「電車に乗るときは切符を買うものだ」という意識は消滅した。 「映画を見たいときはDVDをプレーヤにセットするものだ」とか 「音量を変えるときはアンプのボリュームを回すものだ」のような意識はまだ存在すると思われるが、 電源配線の都合や映像ソースの仕組みや音響機器の構造といった従来機器の構造に依存した各種の操作方法から奪却し、 そもそも本当にやりたいことを簡単に実現するための操作方法やシステムの仕組みを考えていくべきであるし、技術的実現も可能になっている。 hueのような機器が普及することによって古い意識が少しずつでも変わっていってほしいと思っている。

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